殺したんじゃねぇもの

青山正さんを救援する関西市民の会

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更新日 2016-07-31 | 作成日 2016-07-31

「証拠ねつ造」野田事件・青山正さんにあたりまえの無罪を! 

1993年4月4日発行パンフレットより

 
 
1993年に発行したパンフレット「証拠ねつ造」の原稿を掲載します。 
文中の表現については当時のままとしています。 

 

第一章 「 逮 捕 」

「ほんとうは僕、殺したんじゃねえもの」というつぶやきが獄中から聞こえる。それは、野田事件で犯人にデッチ上げられた青山正さんの叫びなのである。何もやっていないのに逮捕された背景には、青山さんが障害者であることを利用した警察の捜査、マスコミの変質者キャンペーン、そして世の中の障害者は何をするかわからないという冷たい目があった。事件発生から青山さんが逮捕されるまでを追っていこう。
 

野田事件とは

 

 一九七九年九月一一日、千葉県野田市で下校途中の小学校一年生の女の子が行方不明となり、その夜、竹林の古井戸の中に両手足を縛られ全裸で埋められているのが発見された。
 
 解剖によると、死因は「気道閉塞による窒息死」ということだった。女の子の口の中には本人のハンカチとパンティがつめ込まれ、頭頂部には直径三cmの陥没骨折、膣と肛門には深い傷があった。
 
 現場には犯人と結びつくものは何もなく、事件は迷宮入りかと思われたが、事件から一八日後、竹林のそばに住む青山正さんという三一才の「ちえおくれ」の男性が逮捕された。
 
 警察は最初から青山さんに目をつけていたのである。
 
新聞も、「変質者の犯行」ということで青山さんに的を絞った書き方をし、また近所の人の中にも「あの人ならやりかねない」とうわさする者もあった。
 
 事件発生から逮捕まで,「内偵」と称した青山さん宅への長時間にわたるあがり込み捜査が連日続けられた。
 
青山さんの「障害」につけ込んだやり方である。また、逮捕はしたものの青山さんと犯行を結びつける確かな証拠は何ひとつなかったのである。
 
 逮捕後、青山さんは自白をするのだが、その自白も実際の現場の様子と食い違っていたり、内容が取調官により変わったりと、とても真犯人の自白とは思えないものであった。また、取調べを録音したテープからは、取調官による誘導も明らかである。
 
 しかし裁判では、一九八七年一月二六日、第一審の千葉地裁松戸支部で懲役一二年の有罪判決が出されたのである。青山さんは一審の最後に全面否認に転じ、弁護団も物的証拠、自白ともに多くの疑問があるとして控訴した。
 
 しかし、一九八九年九月六日、第二審の東京高裁では控訴棄却の判決が出されたのである。控訴審では、時間をかけた事実審理がなされるものとの期待を裏切り、本人尋問を行っただけのものであった。
 
 高裁では、判決の日、傍聴席の車いすの障害者と介護者を引き離して座らせようとしたり、裁判所の不当なあつかいをうけたことに抗議した視覚障害者の白杖が奪われ折られるなどの事件があった。これらに見る裁判所の姿勢には許し難いものがあり、この闘いが決して青山さんだけのものではないことを改めて感じさせるものであった。
 
 青山さんは今なお「やっていない」「知らない」と無実を叫び続けており、最高裁で闘っている。そして、一九九二年三月に、当初から「ねつ造」の疑いのあった「ネーム片」に関する新事実が明らかとなった。現在、弁護団は、その内容を盛り込んだ上告趣意再々補充書を最高裁に対して提出し、無罪判決を求めている。