殺したんじゃねぇもの

青山正さんを救援する関西市民の会

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更新日 2016-07-31 | 作成日 2016-07-31

「証拠ねつ造」野田事件・青山正さんにあたりまえの無罪を! 

1993年4月4日発行パンフレットより

 
 
1993年に発行したパンフレット「証拠ねつ造」の原稿を掲載します。 
文中の表現については当時のままとしています。 

 

第一章 「 逮 捕 」

 

見込みでつっ走った警察
 

 

 
「犯人は分かっているが証拠がない」

 
 被害者の女の子の遺体が竹林の中から発見されたことから、現場付近に住む青山さんが怪しいとにらんだ警察は、ただちに青山さんに対する捜査を開始した。
 
 近所への聞き込みからも「犯人は青山ではないか」との声を集め、青山さんにアリバイがあるかどうかを集中的に調べた。
 
 事件の翌日から二名の刑事が青山宅へ上がり込み、朝から夕方まで青山さんと一緒にお茶を飲んだり、テレビを見たりしながら話をしていたのである。これは青山さんを見張ると同時に、彼の動静をうかがいながら雑談という形での取調べを行っていたものと思われる。しかし自分が犯人と疑われていることも知らない青山さんは、刑事にお茶を入れてすすめたり、普段は母親以外の話相手もいないので、喜んで相手していたのである。
 
 しかもこの様な取調べは、逮捕されるまでの一七日間毎日続けられており、警察もこれを「内偵」と呼んでいたのである。
 
 また警察は事件の三日後には、市役所で青山さんの戸籍を調べている。被害者の女の子の学校で成績などを調べた九月一八日(事件の七日後)には、かつて同じ学校に通っていた青山さんの小学校時代の成績をも同時に調べているのである。
 
 これらのことから、証拠もないのに青山さんを犯人と決め付けて調べていたことが分かる。
 
 新聞記者にも「犯人は分かっている。後は証拠の問題だ」とあからさまに語り、初めから青山さんを犯人と決めつけた上で、逮捕するための証拠を探していたことを明らかにしている。
 
 では証拠は出てきたのだろうか。
 遺体発見現場のある竹林の裏側(当時) 
 死体発見現場で多くの指紋と足跡を採取した警察は、その中に青山さんのものと一致するものがあると思ったに違いない。事件の翌日には青山さんとその家族全員の指紋が取られた。何も知らない青山さんは、指紋を取られるのを嫌がりもせず、嬉しそうに応じていたそうである。また青山さんの所持するサンダルから下駄までの、はき物というはき物はすべて持っていかれたそうだが、現場の足跡と一致するものは一つもなかったのである。
 
 ところが、これで警察は捜査のやり方を根本から見直すどころか、何かあるはずだと、さらに青山さんの周辺を調べたのである。
 
 事件から一八日後に青山さんは逮捕されたが、新聞報道によれば「金属粉と食用油が決め手」とされている。
 
しかし、別項で詳しく述べているように、この二つの証拠は、青山さんを犯人とする決め手でもなんでもないことが後に明らかになっている。
 被害者が通学に利用したという竹林脇の道(現在) 
 多くの冤罪事件に共通することだが、警察はあらかじめ「犯人」を特定して見込み捜査をし、決め手となる証拠もないままに状況証拠だけで逮捕し、後は「自白」させるだけというやり方を行うのである。きちんと物証から捜査を進め、充分な証拠がそろってから逮捕するわけではないのである。冤罪が明らかになるたびに「自白偏重」の捜査のあり方、「代用監獄の弊害」が叫ばれながら、一向に警察のやり方は改まってはいないのである。
 
 事件が起き、警察が犯人を逮捕できず、「迷宮入り」になると、市民の警察不信は高まる。警察は何としても「犯人」をあげねばならないと焦り、強引な捜査を行うのである。

 

 
 遺体発見現場周辺の状況(実況見分調書より)遺体発見状況(実況見分調書より) 
 

 

黒星続きの千葉県警

 
 この野田事件が起きた当時の千葉県警は多くの未解決事件を抱え、警察の威信はまさに揺らいでいた。野田事件の起きる少し前、一九七九年の二月、千葉県市原市で一二才の少女が殺されるという事件があった。二ケ月後千葉県警は決め手となる物証もないのに状況証拠だけで一人の男性を逮捕したが、自供もなく、結局は「証拠不十分」で釈放するという大黒星を演じたのである。
 
 さらに一九七四年のいわゆる「首都圏連続女性殺人事件」では、小野悦男さんをデッチあげ逮捕し、マスコミで大々的にキャンペーンしながら別件逮捕を繰り返し、代用監獄で一八〇日間もの拷問的取調べを行い、一件の殺人事件で起訴したのである。小野さんは一審の千葉地裁松戸支部で有罪、無期懲役という不当な判決を受けたが、九一年四月二三日東京高裁で無罪判決を勝ち取り、そのまま無罪が確定したのである。
 
 そして小野さんのデッチあげ捜査に当たった警察官が、その後青山さんの事件では、捜査の中心人物として青山さんの取り調べを担当したのである。
 
 その他にも、七四年一〇月に起きた市原市の両親殺人事件では、殺害日時とされた時刻以降に母親を見たという近所の人の証言や、血液鑑定の問題点、被害者の胃の内容物等の疑問があり、冤罪の可能性が極めて強い事件である。この事件で犯人とされた佐々木哲也さんは、捜査段階でいったん自供はしたものの公判廷では一貫して無実を訴え、死刑が確定した今も再審請求を準備している。これらの事件はすべて状況証拠から見込み捜査で疑わしい人物を逮捕し、「自白」させていくというやり方が共通している。
 
 ともかく、黒星続きの千葉県警としては、何が何でも「犯人」をあげなければならない、しかも裁判でひっくり返されないような「犯人」をつかまえなければならないと、この野田事件にあたったのである。
 
 青山さんの起訴を報じた「千葉日報」が「未解決事件を多く抱え持つ県警捜査一課課長も、逮捕以後が大きな問題であっただけに、青山起訴の報にさすがにホッとした表情を見せていた」と書いているのは、まさに当時の千葉県警の現状を示しているのである。
 
 また起訴当日の記者会見には、千葉地検次席検事(その前の東京地検検事時代に「土田邸、日石、ピース缶」事件の捜査にあたった—この事件も全員無罪)がわざわざ出席し、「珍しいほど直接的な証拠がそろった」(七九年一二月二六日「朝日新聞」朝刊)との発言をしている。
 
 千葉県警、千葉地検がこれほどまでに野田事件に力をいれていたことに、デッチあげの背景があったと言える。
 
 
 

 

障害者差別ゆえのデッチあげ

 
 冤罪事件を生み出す背景、構造を明らかにするだけでは、なぜ青山さんが逮捕されたのかを明らかにしたことにはならない。
 
 このような事件が起こると必ずと言っていいほど、女の子にいたずらをして殺すなどということは普通の人間にはできない、「障害者」「変質者」の仕業に違いないとの差別と偏見に基づく声が出てくる。付近の住民の差別意識をマスコミがあおり、さらに警察の差別的見込み捜査によって、このような声は助長され、「犯人逮捕」となると、やはりそうだったと「確信」にまでなるのである。
 
 もし青山さんが「障害者」ではなく、普通の会社員であったらと仮定するのはおかしいかもしれないが、仮にそうであったならば、こんなにひどいデッチあげはなかったであろう。アリバイを証明することもできたし、物証もないのに「犯人」に疑われることもなかったはずである。「障害者」だからという理由で「犯人」にされる。
 
これこそ差別に他ならない。