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青山正さんを救援する関西市民の会

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更新日 2016-07-31 | 作成日 2016-07-31

「証拠ねつ造」野田事件・青山正さんにあたりまえの無罪を! 

1993年4月4日発行パンフレットより

 
 
1993年に発行したパンフレット「証拠ねつ造」の原稿を掲載します。 
文中の表現については当時のままとしています。 

 

第二章 「 有 罪 」

 
 

再現ビデオのフィクション


 青山さんの逮捕から二週間ほどが過ぎた七九年一〇月一二日。遺体発見現場において、青山さんに犯行状況を「再現」させる検証が行われた。この検証は青山さんが被害者を待ち伏せしていたとされる小道から始まり、被害者を竹林の中に連行し、犯行をし、遺留品を投棄し、自宅に帰って来るところまでとされ、その様子はビデオテープに録画されている。このビデオは、判決の中でも「長時間にわたって相当広範囲な地域における複雑かつ極めて特異な犯行態様をほぼ再現している」(第一審)「ひととおりの自白が得られた後のいわば総仕上げ的なもの」(第二審)と非常に大きな評価を受けているものである。

 しかし、このビデオが本当に「犯行を再現している」と言えるのだろうか。よく見ていけば矛盾が多く、むしろ青山さんが犯人でないことを裏づけているのではないだろうか。ここでは、京都女子大学教授の岡本夏木氏による鑑定を元に述べてゆく。


「犯行を再現」とは言えないこと

<中断があること>

 検証(ビデオを撮り始めてから終わりまで)は一〇月一二日の午前一〇時九分から午後〇時一六分までの二時間七分だが、テープの録画時間は一時間一六分であり、合計五一分間は未公開である。またその間に三四回という頻繁な中断があるが、この中断の間に何が行われたのかは全く不明である。

 ビデオの中には、青山さんが被害者のカバンを空地の方へ放り投げる場面が撮られている。ここは第二審判決で「身に覚えがないことについて被告人にこれだけの演技ができるとは到底考えられない(だからこれは演技ではなく、青山=真犯人だ)」とされた極めて重大な場面であるが、ここに中断がある。中断前は、「(そんなところから投げて)本当にあそこ(=鞄の発見場所)まで届くのか?」という取調官の否定的な誘導尋問に対し、元気に「届くよ」と言っていた青山さんが、中断後は明らかに元気がなくなっている。中断中に何があったのかわからないが、録画しながら誘導したにもかかわらずその誘導にのってこない青山さんに業を煮やした取調官が、ビデオを止めて何かしたのに違いないと考えるのが自然である。

<誘導の事実>

 ビデオは青山さんが自発的に動く形で進んでいるものではなく、取調官の質問に答える形で進んでいる。それも、取調官の「次はどうしたの?」という類の誘導の少ない質問では答えられず、「そうじゃないでしょう」というような明らかな誘導尋問がほとんどなのである。

 例えば、青山さんが被害者を連れて穴へ向かう場面がある。取調官は「女の子を止めた場所まで、歩いて下さい」と繰り返し言うのだが、青山さんは穴から二mほど離れたところで停止してしまうのである。そこで取調官は慌て「ここなの? この前の取調べのとき話したのと違うんじゃないの?」と言うのである。これは明らかな誘導である。それに、この誘導は「事件の中でどうしたかを思い出せ」ということではなく、「以前の取調べのときどうであったかを思い出せ」ということなのである。

 このほかにも同じ様な誘導はたくさん存在している。

実は、この検証を中心になって進めているのは後に証拠のカバンのすりかえでも大きな役割を占めている宮崎四郎警部補であり、彼が主にこうした誘導を行っているのである。


「犯行」の不自然さについて



 青山さんはビデオで「犯行を再現した」とされているわけのであるが、ビデオに描かれた一連の動きを「犯行」として理解するにはあまりに無理がある。

<被害者が無抵抗・犯行に協力>

 犯行ストーリーでは、青山さんに連行される被害者が、押さえられていないもう片方の手に自分のカバンを持っていくことになっている。これから危害を受けようとしている被害者が自分でカバンを持っていくなどということが考えられるだろうか。

 また、被害者は立ったまま服を脱がされ裸にされたことになっている。靴下まで脱がすのに被害者を立たせたまま行おうとすれば、被害者が協力でもしない限り無理であろう。

 また、青山さんは被害者を裸にして井戸穴に入れた後、その着衣を被害者のカバンにつめ、その後穴から一二m離れたところへ石をとりに行って戻ってくることになっている。その時点では被害者は何の危害も加えられておらず、逃げだすことは容易であったと考えられるのに、犯人が戻ってくるのをおとなしく待っていることになっている。

 また、犯行ストーリーでは、石をとってきた青山さんが被害者の頭の上に石を落とすことになっているが、気を失ったり身体を拘束されていない被害者が、頭の上に落ちて来る巨大な石をよけもせず、そのまま頭の上にうけることはあり得ないことである。

<油を飲む>

 取調官側のストーリーで言えば、裸にする前に被害者に油を飲ませることになっている。しかしこうした数々の誘導にもかかわらず、青山さんはその段階では油を飲ませることはしておらず、ビデオの最後になって「思い出した」ということで、油を飲ませる場面が唐突に出てくる。すなわち、青山さんだけでなく誘導にあたっていた取調官も、この「油を飲ませる」という行為を失念してしまっていたのである。しかも、「油を飲ませる」という行為がいかにも不自然である。この事件における犯行の最大の目標(おそらく「わいせつ行為」であったと思われる)の前に油を飲ませる必然性は全くなく、被害者が従順に油などという飲みにくいものを飲むとは考えられない。

 これは、「口の中に詰められたパンツに油がついていた」=「飲ませたのだろう」という、逆行した(遺体発見状況などからの)推測によって生じたものであることが明らかである。結局、客観的に残されていた状況に合わせているだけであり、犯行としてどうなのか、という視点で見るとガタガタなのである。

 以上、岡本鑑定を元に「犯行再現ビデオ」を批判してきた。岡本鑑定はもっと詳細に述べており、テープ全体を四六シーンにわけ、そのうち、捜査員の誘導については二八シーン(六一%)、行為の自然さの点からは三三シーン(七二%)に問題点があるとしている。

 このビデオに関して、判決は「青山=真犯人。ビデオは犯行の再現」という前提に立っているわけであるが、実際には、このビデオは「自白の総仕上げ」などではなく、むしろ青山さんが無実であることを裏づける最大の物証である。そして、このビデオが「自白の総仕上げ」とされてしまうところに、現在の裁判の問題性、裁判官の差別・偏見が如実に現れているのである。