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青山正さんを救援する関西市民の会

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更新日 2016-07-31 | 作成日 2016-07-31

「証拠ねつ造」野田事件・青山正さんにあたりまえの無罪を! 

1993年4月4日発行パンフレットより

 
 
1993年に発行したパンフレット「証拠ねつ造」の原稿を掲載します。 
文中の表現については当時のままとしています。 

 

第三章 「 真 実 」

 
 
 一九九二年三月にマスコミで「警察、カバンすり替え」「物証ねつ造の疑い」など報道されたのは記憶に新しい。有罪の決め手となった最大の物証である「ネーム片」は、青山さんの無罪を証明する最大の証拠となった。この新事実のように、証拠ねつ造の跡をこれほどはっきりと示したケースは少ない。

一九七九年一〇月九日

 

《その日まで》

 カバンは裏側の片隅に書かれていた住所・氏名の部分が切り取られた状態で発見された。

「この切り取られた布片(ネーム片)は犯人が持っているはずだ」と警察は当然考えただろう。青山さんが逮捕されるまで、毎日朝から晩まで二人の刑事が青山家にあがりこんでいたそうだが、彼らはネーム片がどこかに隠されていないか、それとなく捜したはずである。

 そして九月二九日に青山さんを逮捕。こんどは公然と家中をひっくりかえし、便所の中までさらってネーム片を捜した。しかし見つけることはできなかった。ネーム片が切り取られていたということを、警察はマスコミにも発表していない。だから当時の新聞のどこにも「切り取られたネーム片」に関する記事はない。マスコミの注視がないだけに、警察はじっくり取り組むことができたと思われる。しかし、家宅捜索でも見つからないというのは予想外であっただろう。事件発生直後から「犯人」として目星をつけてきた青山さんの周辺から、一番肝心な証拠物が出てこない。困ったはずである。

 逮捕から七日目の一〇月五日。この日の取調べで、ネーム片の隠し場所を青山さんは絵に描いて話している。ベットの上にズボンが置いてあり、その左ポケットに乾電池、右ポケットにナイフとネーム片が入っている絵である。

「逮捕時にはいていたズボンの中にネーム片が入れてある。」

 ズボンのポケットなどすでに取調べ済みであり、ネーム片はないことが分かっている場所なのだが、前日の「川に捨てた」という供述よりは現実的だと考えたのかもしれない。

 犯行を認めさせられ自供を続ける青山さんは、ネーム片の隠し場所についても、どこかそれらしい場所を自分で考えて答えなければならなかった。しかも他の証拠については取調べの警察官がヒントをくれたりして誘導してくれるが、ネーム片に関しては警察官の「助け」は期待できなかった。

 前述のズボンのポケットの供述にしても、直前に取調官の一人に怒鳴りつけられすっかりふさぎ込んでいる時に、別の取調官に優しくされたりおだてられたりしたことと「ネーム片」の取調べと並行して「乾電池はどこから持って来たか」と尋問されたことに影響されて、「じゃあ、そこ(ズボン)に入ってっかわかんない」と言い始めたものにすぎないのだから。

 一〇月五日から九日まで、青山さんにはそれ以上の隠し場所は思いつかなかった。


《その日のこと〜午前》

 そして九日朝からの取調べ。この日も「(ポケットに)入ってねえんじゃおかしいな」と前日までの繰り返しだ。取調官も

「しまったんじゃない?」「捨ててきたんじゃない?」

と繰り返して聞くがだめである。そこで取調官は今までの自供にそって、もう一度順を追って確認しながら聞いていく。

「その日さ(犯行が終わってから)お勝手のほうへ行って手洗って、泥ついちゃったから。それから今度ベットの所へ行ってズボン取りかえるでしょ。そん時にさ、山でもってカバンこう切ってポケットへ入れといたでしょ。そいでズボンはきかえた時に、布切れ取って、今度はきかえたズボンの方に入れたの? それとも前の脱いだズボンの中へ入れといたの?」

 それに対する青山さんの答えは

「だねえよ。ズボンよう。これ悪いズボンだったろう。名前書いたのよ。こっちの方へ入れてよ、いいズボンはいてよ。悪いのはよ、ベットの上にほっぽってよ、いいのはいていったんだもん。」

 この問いと答えは、一見かみ合っている様だが、互いに全く違う場面の事を話しているものだ。取調官は犯行によって衣服が泥で汚れたので、家に帰ってから着替えたという犯行ストーリーにそって犯行直後のことを質問している。一方、その実体験のない青山さんは、実際に自分が体験した九月二九日逮捕連行される時、警察官に着替えさせられ、ズボンをベッドの所に脱いできた時の事を答えているのである。

 やがて勘違いに気づいた取調官は

「警察へ来る時ベットの所で脱いだズボンの中へラジオなんか入っていたよな」

「その中へずうっと女の子の名前入れておいたの?」

と聞いていく。青山さんはあいかわらず「入れてある」と主張し続ける。

 そして、取調官の次の言葉が青山さんに一つのヒントになったと思われる。

「ラジオやなんかはあったけれども、その女の子の名前書いた布はズボンの中にないの」

 ネーム片はないがラジオはある。そこから、ラジオと鎖でつながれガムテープでまきつけられてある定期入れの中にネーム片が入っているという供述を青山さんは始めた。一〇月九日午前一一時前のことである。この時間はこの日の録音テープ全体を整理して割り出せる。

 しかし新しい供述も取調官を喜ばせるものではなかった。青山さんは定期入れのことを「黒いのでよ、このテープみたいなやつ、こんなちっちゃいのないかい」

という表現をするが、取調べの中心になってきた宮崎四郎はすぐに

「定期入れみたいな中に入れてあるの」

と青山さんの言っている品物を了解する。このラジオと鎖でくくりつけられた定期入れは、逮捕時にズボンのポケットから押収済みだ。取調べを行っている野田署に保管されている。押収物を熟知している宮崎にはすぐ分かって当然だろうし、そこにネーム片が入ってない事も分かっていたはずである。

 それでも青山さんが「定期入れの中に入れた」と言い続けるので、「じゃあ、持って来る」と言って宮崎は取調室を出て行く。しかし戻って来た宮崎は

「全部あけて見てくれと言って、開けてみたけど、なにもなかったって」

と青山さんに告げる。納得しない青山さんは、現物をここへ持って来てくれれば分かるんだと言い張る。それに対して宮崎は

「持って来るのに、一時間や二時間かかる」

と奇妙な答えをしている。同じ署内にあるはずの証拠物を持って来るのに時間がかかるはずはないのに。

 宮崎はこの後の取り調べでも「持って来れば分かる」を繰り返す青山さんに、さとすように言っている。

「うそ言ってんだとは思わないけどもよ、だけどもほら、考え違いってのもあんでしょうよ。一番最初はそこへ入れたんだけどもよ、後でさ、あそこじゃまずいなって思ってよ、また別の所へ入れてよ」

 九日の午前中は「定期入れの中」という新しい隠し場所が出た。そこで念のため調べたが無かった。取調官はさらに別の場所だろうと青山さんを問い詰めている。そして取調べは

「一二時だから、お昼にするか」

ということで中断する。


《その日のこと〜午後》

 昼の休憩をはさんで、午後も取調べは続いた。しかし午前中に一、二時間後に持って来ると言っていた定期入れはまだ持って来ていない様子だ。そして取調べは「調書作成」の場面になる。一〇月九日の調書は一四の問いと答えからなっている。このうち一〜九問までの作成をしているのが、午後の取調べを録音したテープから分かる。

 九問「では脱いだズボンの中に、ラジオなど入っていたのか」

 答え「そう」

 録音テープによれば、取調官の宮崎はこの後

「じゃあ、はい、今日はこれでいいのかな」

と言って調書作りを終えようとしている雰囲気である。この後テープには、一問目から青山さんに確認のための「読み聞かせ」をしているもう一人の取調官の声が入っている。

 しかし、この日の取調べはこれで終わったわけでなかった。午後三時一〇分から二〇分までの間、取調室に「ラジオと鎖でくくりつけられた定期入れ」が持ち込まれ、それを青山さんにあけさせているところが六枚の連続写真で撮影されている。そして定期入れからはネーム片が出てきたのだ。午前中に見てきた時には「なかった」と言っていたのに。なぜ?

 取調官にはそんな疑問はなかったようだ。ネーム片が出てくる確信があったようだ。だから写真撮影の準備も怠りなくやったのだろう。午前中の様子からは考えられない変わり様である。

 しかし録音テープがなければ、こういった状況も分からないままだっただろう。調書だけを見れば、九問目の後すぐに「ラジオにくくりつけられた定期入れ」を青山さんに示し、開けさせたことになっているからだ。

 一〇月九日の一二時をはさんだ前後にネーム片に関する工作が行われた。そう考えるしかないだろう。

 それを裏付ける証言が一審公判でなされている。当時、野田署の警察官で押収品の保管係をしていた高山孝の言葉だ。

「(ラジオにくくりつけられた定期入れは)一〇月九日一〇時過ぎ、宮崎警部補に貸し出しました。」「(それは)昼休みに一旦返されたと思います。」

 宮崎は午前中「見てもらったけどなかった」と言って手ぶらで取調室に戻って来ているが、高山証言によれば、自分で午前中も定期入れを借り出していたのだ。

重要な証拠物が、この日の午前中と午後も三時過ぎまで宮崎の手元にあった訳だ。工作をする時間は十分あったと言えるだろう。