殺したんじゃねぇもの

青山正さんを救援する関西市民の会

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更新日 2016-07-31 | 作成日 2016-07-31

「証拠ねつ造」野田事件・青山正さんにあたりまえの無罪を! 

1993年4月4日発行パンフレットより

 
 
1993年に発行したパンフレット「証拠ねつ造」の原稿を掲載します。 
文中の表現については当時のままとしています。 

 

第四章 「 私たちにとって 」

 

野田事件を通して

 
 冤罪というものは、私たちの日常生活とは何かしら縁遠いように思われがちである。しかし、はたしてそうだろうか。青山さんが警察の思惑、マスコミの扇動、そして住民たちの偏見によって犯人にされていった事実は、事件が起きて犯人がすぐにあがらない時、代わりに誰かが疑われ、濡れ衣を着せられることを物語っている。

 青山さんを無罪で奪い返す私たちの闘いの意味は、この事件の温床とも言うべき障害者差別に真正面から立ち向かうことにある。それは、青山さん一人の問題にとどまらない。障害者一人一人が受けてきた差別の重みがあり、その重みが青山さんの無実の叫びに共感したからこそ闘い続けるのである。

 ここでは、まず過去に起きた二つの冤罪事件と野田事件との関連性について考えてみたい。そして、私たちがなぜ野田事件にこだわるのかを明らかにしたい。


《島田事件—野田事件に最も近い冤罪事件 》

 一九五四年三月一〇日、静岡県島田市で六才の女の子が暴行され殺された。知的障害を持つ赤堀政夫さんが犯人として逮捕され死刑が確定したが、四度目の請求で再審が開始され、一九八九年一月三一日、確定死刑囚としては戦後四人目の再審無罪を勝ち取った。これがいわゆる島田事件である。

 赤堀さんが死刑判決を受けた背景には、差別的な精神鑑定が大きく問題として横たわっている。使用を禁止された自白剤(イソミタール)まで使って鑑定した医師たちは、「感情不安定な精神薄弱者」「幼稚な心因反応を起こしやすい人間」という烙印を赤堀さんに押し、犯罪を犯しやすい人間として彼を描き出した。そして赤堀さんの必死の無実の訴えも、「無遠慮で自己中心的な性格の反映」と診断された(再審段階で医師の一人は「あれは誤りだった」と鑑定取り下げを上申していたが、裁判所は最後まで無視した)。

 再審への道を開いた差戻し決定でも、「自白と客観的状況が符合しないのは精薄の赤堀の記憶違い」として、本来なら捜査側が追うべき責任を全て赤堀さんのせいにして矛盾をごまかしている。そして再審無罪判決ですら「被告人が軽度の精神薄弱者で、感情的に不安定であり、自分の主張が通らないと感情的になり、拘禁されるような環境に置かれた場合に心因反応を起こしやすいと診断されている」ことを、自白の信用性が低い理由にあげているのである。再審判決は、主文だけを「有罪」にすげ替えても通用するような「灰色」無罪判決だった。


《金川事件—ずさんな捜査と死刑判決》

 金川事件は一九七九年九月一一日、野田事件と全く同じ日に発生した。熊本県免田町内の畑で、女性の絞殺死体が発見され、たまたま近くを歩いていた金川さんは、「変態男がいた」という住民の通報によって、その翌日に逮捕された。最高裁で死刑が確定し、現在再審開始を訴えている。

 金川さんは知的障害者で、小学校三年生から療護施設に入れられていたが、十八才の時に「手に負えない」などの理由で教護院に移された。ある日、そこを脱出して通りすがりの人からお金を奪おうとして騒がれ、あわてて首を締めて殺してしまう。彼は十年後に出所し、七九年六月に再び故郷へ帰ることになる。

 金川さんへの容疑は、彼が偶然現場を通りかかったことから始まった。畑の中に人が倒れているのを見て、生きているかどうかを確かめに行き、「助けが来た時の邪魔にならないように」と服に巻きついていたビニール紐を噛み切ったという。その帰り、農作業中の主婦に自分の性器を見せびらかすなどしている。この日の彼の行動は、周囲の疑いを呼ぶには十分だった。「出所したばかりの前科者で変質者である金川しか犯人はいない」として警察は強引に調べを進め、犯行と直接結びつく物証も、自白の裏づけもないまま死刑判決が出される。

 凶器は、ヤスリを削った手製ナイフから錆びた包丁に変わり、最後には白サヤ入りのドスとされたが、その出所も定かではないし、今も発見されないままである。被害者の膣内の精液も、着衣の指紋もなぜか鑑定されていない。精神鑑定でも「反社会的性格異常」「爆発性異常人格」「情性欠如者」などと決めつけられているが、これが警察調書からの一方的な情報をもとにしたものであることは明らかである。


《スケープゴートにされる人たち》

 二つの事件と野田事件には多くの共通項がある。

 まず、いずれも性的犯罪であり、その犯人とされたのが知的障害者であること。彼らは容易に「異常人格者」と断定されるのだが、その根拠となる精神鑑定は、科学的な装いをまといながら、その実、誤った先入観にもとづいた都合のよい主観的解釈に過ぎない。

 次に、自白が大きく変遷し物証との間に矛盾があることの理由が、彼らの障害に求められること。捜査側に都合が悪いことは「精薄だから、混乱しても仕方がない」とされ、都合がよい自白は「精薄でもこれだけ覚えているのは、実際にやったからだ」とされるのでは、裁判の公正さなど期待できるはずがない。

 三つ目に、物証が全体的に乏しく、決定的な物証であるはずのものに大きな疑惑があること。島田事件の凶器の石、金川事件の凶器のドス、そして野田事件のネーム片。そこには、「こいつが犯人に間違いない」という思い込みと、しかし手持ちの証拠だけでは有罪にできないという捜査側の焦りが見えるのである。

 最後に、警察や検察の捜査に付近住民やマスコミが積極的に協力していること。これまでの多くの冤罪を見ると、その対象は障害者に限らず、被差別部落の人や前科のある人、貧しい人や「住所不定」の人など、社会的に弱い立場に置かれた人が多い。彼らは「健全な」市民社会を守るためのスケープゴート(いけにえの子羊)として国家に捧げられるのである。


《東京高裁の暴挙》

 一九八九年九月六日、東京高裁の判決日に集まった支援者の中には、車いす障害者六人、視覚障害者二人が含まれていた。ところが法廷内で裁判長は、介護者を車いす障害者から引き離すという暴挙に出たのである。そしてこれに抗議した一人の仲間が、別室へと強制的に押し込まれてしまった。

 法廷外で待機していたメンバーが、隣室に連れ込まれた仲間を外へ出すよう要求したが、職員たちは仲間を非常階段を使って引きずり下ろしていった。ガラス戸をはさんで、ドアを開けさせようとするメンバーと中でガードする職員との間で綱引きが始まった。そして、視覚障害者の持っていた杖がドアの間にはさまった。それを無理矢理引き抜こうとした職員が、杖を九〇度に折り曲げてしまった。抗議の声が一層高まり、ドアを叩く手に力が入りすぎてガラスが割れた。と同時に「よし、やったぞ!」と叫びながら飛び出してきた職員に、杖を折られた視覚障害者が「責任とっておれを大阪まで連れて帰れ」と叫んだ。しかし職員は「足があるんだから歩いて帰れるだろう」と居直るばかりだった。その後、当事者と介護者だけを残して全てのメンバーが強制排除された。両手両足をつかまれ、強引に裁判所の外に引きずり出されたのである。

 ひっそりした廊下に、不当判決を目の当たりにした傍聴者が出てきてことの一部始終を知った時、怒りは再び爆発した。一人の職員が「直します」と言って元に戻そうとしたが、一度曲げられたアルミ合金が力に絶えられるはずもなく、真っ二つに切断された。

 視覚障害者が杖を失うことは、目明きが目を奪われることに等しい。その意味を全く無視した「足があるから」発言は、差別以外の何ものでもない。しかし、裁判所は自らの差別性を認めようともせず、ただ「弁償」することだけでお茶を濁すことに終始した。

 傍聴制限、不当な訴訟指揮等々、人権を守るべき裁判所がなりふり構わず行った差別と暴挙であった。


《みんなの問題としてとらえ返す》

 東京高裁の判決日は、司法が青山さんだけでなく救援メンバーにも、直接その権力を行使してきた一日であった。私たちは否応なく、自分自身と裁判、個人と国家というものを考えさせられた。私たちは、自分の痛みとして野田事件を共有できたのである。

 もちろん野田事件は、単に救援メンバーだけでなく、さまざまな中身をみんなの問題として突きつけている。中でも、青山さんの生活実態が多くの障害者に共通するものであることを押さえておかなければならない。

 障害者が地域の中で生きていくのは極めて大変なことである。介護者を必死で集め、共に生きていく仲間をつくる。そのために費やす作業の一つ一つが、身を削るほどの苦心をもたらす。制度が立ち遅れ、条件が整わない状況ではなおさらである。ましてや、周囲からの偏見や差別意識を変えていくのは容易ではない。

 それでも地域で生き続ける。そして、青山さんの救援運動に関わる。なぜだろうか。

 それは「野田事件=青山さんの歴史」が、障害者一人一人の置かれた実情に重なり過ぎるほど重なっているからである。偏見のまなざしを受け、何かことが起きると「あいつの仕業に違いない」と「犯人」のレッテルを貼られる。作業所や生きる場に対する立ち退き要求運動、知的障害者・精神障害者へのいわれのない差別感情……。青山さんの場合とあまりにも似通っているのである。だからこそ闘う。青山さんだけの問題ではない。障害者自身と、共に生きようとして関わる「みんなの問題」として取り組むのである。


《あらゆる差別を許してはならない》

 青山さんを犯人に仕立て上げていったものの根底に障害者差別があることは、まぎれもない事実である。

 私たちは、全ての人々が地域の中で生きていくために、あらゆる差別を許してはならないと考える。その源流が地域の中の予断・偏見であれ、マスコミの扇動であれ、司法を含む国家や行政等のいかなる権力であっても屈するわけにはいかない。人間の生き方を狭め、命さえも奪おうとするものに対しては、全力で立ち向かわなければならない。

 私たち自身が障害者差別と徹底的に闘うことを通して、はじめて他の被差別者・冤罪者と共に闘うことができる。そしてまた冤罪を産み出す裁判は、差別社会とその中で生きている私たちの生活の反映なのだから、裁判を闘うことは、さまざまな立場の人と出会い、お互いに交流する中で、自分自身の内にある差別性をとらえ返し生き方を問いながら相互変革をしていくことである。

 青山さんを奪い返す闘いは、障害者差別の根を断ち切る第一歩である。第二、第三の青山さんを産み出さないために、そして障害者をはじめとする全ての人々が差別から解放された社会を目指しつつ、多くの人と共に闘いを進めたい。